星にねがいを。

Надеюсь, что в звездном небе!

日本が発展するわけない。発展する要素などない。

「失われた30年」という言葉が、もはや何の新鮮味も持たない決まり文句になって久しい。経済が、社会が、そして人々の心までもが停滞している。

多くの人がその原因を政治や経済政策に求めるが、僕はもっと根深く、もっとどうしようもない国民性とでも言うべきマインドセットに問題があるのだと、日を追うごとに確信を深めている。

これは希望的観測を一切排除した、僕個人の絶望的なまでの現状認識だ。もちろん、異論は認める。しかし、それでも僕が「日本はもう発展しない」と考える理由を、ここに書き記しておきたい。

異端を徹底的に攻撃し、新しい芽を摘み取る文化

出る杭は打たれるというが、日本のそれは生易しいものではない。もはや出る杭は根っこから引き抜かれ、塩をまかれるレベルだ。

新しいビジネスモデル、既得権益に切り込むようなイノベーション、あるいは単にみんなと違う意見。これらが登場した瞬間、SNSや旧来のメディア、そして井戸端会議レベルのコミュニケーションで、一斉に叩きのめされる。建設的な批判ではない。ただ、自分たちの理解を超えたもの、自分たちの安寧を乱す可能性のあるものを、集団で排除しようとする反射的な動きだ。

これではイノベーションが生まれるはずがない。誰もリスクを取って新しいことに挑戦しようなどと思わなくなる。結果として残るのは、前例を踏襲するだけの思考停止した組織と、当たり障りのない意見しか言えない人々だけだ。

「失敗から学ばない」のではなく「失敗を総括しない」致命的な欠陥

シリコンバレーには「Fail Fast, Fail Forward(早く失敗し、前に進め)」という文化があるという。失敗は成功へのデータであり、挑戦した証としてポジティブに捉えられる。

一方、この国ではどうだろうか。大きな失敗が起きた時、我々が目にするのは、原因の徹底究明と、再発防止策の構築ではない。ひたすら続く謝罪会見と、責任者の特定だけだ。誰が悪かったのか、誰が頭を下げるのかに終始し、その失敗の構造的な問題点、本質的な原因を分析しようとしない。

僕が散々頭の固い硬直した国と蔑んでた、祖国ロシアでさえ、失敗から学び、修正し、適応しようとする学習能力を片鱗ではあるが、見せる。しかし、日本はどうだ。先の大戦から現在に至るまで、本質的な意思決定の構造や、責任の所在を曖昧にする体質は何も変わっていないのではないか。失敗はただ隠蔽され、忘れ去られる。だから、同じ過ちを何度も繰り返すのだ。

建設性を欠いた、人のあげあしとりに終始するコミュニケーション

新しい提案や意見が出た時、その本質的な価値や可能性を探るのではなく、些細な間違いや言葉尻を捉えて、鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てる。これもまた、この国のコミュニケーションを不毛なものにしている大きな要因だ。

本来、議論や批判は、物事をより良い方向へ導くためにあるはずだ。しかし、日本で行われているのは、相手を貶め、マウントを取るためのあら探しでしかない。これでは、誰も自由な発想を口にしなくなる。完璧でなければならないという強迫観念が、挑戦する意欲そのものを奪っていく。

100点満点のアイデアなど存在しない。60点のアイデアを、議論を通じて80点、90点に高めていくのが本来あるべき姿なのに、60点の段階で「40点も欠けているじゃないか!」と石を投げる人間ばかりでは、何も生まれるはずがない。

厳しい現実から目をそらし、目先の快楽に溺れる国民性

少子高齢化天文学的な政府債務、迫りくる地政学的リスク。この国が抱える問題は、少し考えれば誰でも分かるほど深刻だ。しかし、多くの人々は、その厳しい現実から目をそらし、刹那的な快楽にその身を委ねているように見える。

テレビをつければ、中身のないお笑い番組や、耳障りの良い政治家の減税合戦ばかり。SNSを開けば、承認欲求を満たすための投稿と、他者への攻撃的なコメントが溢れている。本当に向き合うべき課題についての真剣な議論は、驚くほど少ない。

痛みを伴う改革から逃げ、問題を先送りし続ける。政治家がそうなら、国民もそうだ。未来への投資よりも、今日の小さな満足。国家の存続よりも、自分の目先の快適さ。このマインドが支配的である限り、衰退への道筋は変えられない。

根性と勤勉さを失い、思考停止だけが残った残骸

かつての日本には、確かに世界を席巻した力があったが、それは個人の生産性や能力ではなく、今の時代であればAIに代替できる根性と勤勉さに支えられた、驚異的なまでの生産性と品質追求の精神だった。その精神構造が、多くの歪みや非論理性を内包していたことは事実だ。

しかし、今の我々はどうだろうか。根性や勤勉さすら、、時代遅れの遺物として切り捨てられた。それは良い。問題は、それらが失われた後に、論理的思考力やクリエイティビティ、合理的な判断力といった、新しい時代の武器がインストールされなかったことだ。

結果として残ったのは、旧時代の非合理的な精神構造から、根性と勤勉さというエンジンだけを抜き去った、空っぽの残骸だ。思考停止したまま、ただ前例にならい、異論を許さず、現実から目をそらす。そんな人間だけが量産されているのではないか。

 

もちろん、こんな国であっても、個々人を見れば素晴らしい才能や志を持った人々はたくさんいる。僕もそう信じたい。

しかし、彼ら彼女らの才能は、この国特有の空気や構造によって、ことごとく潰されていく。希望を語ることすら馬鹿にされる。そんな国だ。

この国は、民衆の手によって、緩やかに衰退し、だんだん世界の変化から取り残され、発展途上国の烙印を押されるだろう。残念ながら、私にはもう、それを止める術があるとは思えない。